|エピソード5|@三角堂「マッチ」

5月の緑眩しい午後、納戸で古い記憶を探していた。確か、透明のよくあるプラスチックの収納ケース。

見つけ出した頃には、窓から傾いた日差しが入ってきていた。

その記憶は、ケースの中に仕舞い込んでいたはずのジャズ喫茶のマッチ。70年代の学生の頃、毎日どこかのジャズ喫茶へ行き、珈琲一杯で散々レコードを聞いた。まだ最新アルバムやレアなアルバムをすぐに聴けることが貴重な時代、情報も少なく、さらにジャズ喫茶のオーディオシステムで聴く臨場感のある音は夢心地だった。

当時は、京都に40軒ほどが軒を連ねていたと聞いているが、其処彼処にジャズ喫茶があり、様々な店のスピーカーやアンプを体験しに行った。そして、僕は当時のジャズ喫茶には必ずあったマッチを集める一人だった。今日は昔のジャズ喫茶のマッチ写真を所望する知人のために掘り起こしていたのだ。

遠い彼方に忘れていたけれど、無機質なプラスチックの蓋を開けると色とりどりの思い出が溢れてきた。有名な「明るい田舎」や「BB」に紛れて「三角堂」と書かれたマッチが目の前に現れた。

はて?

箱のデザインは、デイブ・ブルーベックだからかの有名な「TAKE-FIVE」が世に出た1960年以降のジャズ喫茶だろうか?
全く、記憶にない。

ここは2020年、文明の利器を使ってサーチしてみると当てになりそうなのは「京都初の洋画商三角堂」という結果程度だった。明治43年に河原町三条に前身の三角屋を構え、のちに三角堂となる。京都初というだけでなく日本初の洋画商だそうな。

おそらく、ここから名付けられたのだろうか?
とすると、場所は河原町三条辺りの店か?

それでも、思い出せない。

謎は深まるばかりなのに、「明るい田舎」のマッチ箱を見ると有名なママのイラスト入りが気になってくる。これの前のデザインでは「ジャズ」という言葉は入っていなかった。開店当初はクラシック喫茶のみだったからだ。懐かしい記憶がどんどん押し寄せてくる。それでも「三角堂」は思い出せない。

誰かにもらっただけなのだろうか?

ジャズ喫茶のあの体の芯に届く音で毎日ジャズを聴いた遠い青春時代が、40数年を経て小さな謎を送ってきた。これから、暫くこの謎を追いかけることになりそうだ。

 

 

(注)この物語は京都ジャズ喫茶マップ制作にあたり提供されたエピソードを種にした筆者による完全な妄想である。