|エピソード1 |@BOZA「ヘレン…」
1970年代、京都。地元の京都人も唸る暑い日だった。
今日も数年前にオープンした小さなジャズ喫茶を開ける。地下にある我が店には長年をかけて収集したアフリカの仮面で壁一面を飾っている。レコードと並ぶ私の自慢だ。
店名は「BOZA」。毎日、学生たちが入れ替わりやってくる。ほとんど話したことはないが、顔を覚えてしまった若いお客ばかりだ。大金をはたいて買ったアルテックA-7に耳を傾け、じっと聴いてくれる。
今日はオーネット・コールマンからいこうか。
暑さが1日のうちの頂点に達する頃、見かけぬ顔の男子学生らしき若者が入ってきた。時々、こうやって進学のため京都へやってきた学生が、どこかで誰かに訊いて初めてうちの店にやって来る。その後、通ってくれる者もいればそれきりの者もいる。私は好んでフリージャズもかけるが、その手が苦手なお客さん達ももちろんいるのだ。おそらく、その辺りの理由が大きいのだろう。
その若者は、ドアを開けながら蒼い眩しさを纏って入ってきた。大人には判る少し恐縮したような表情を保ちながら。
彼は席について珈琲を注文し、出された淹れたてのそれをすすりながら物言いたげだ。私は暫くその様子を横目に見ながら、私が選んだレコードをかけ、お客達のリクエストの盤をかけた。もしかしたら、彼は何度か来店してくれているかも知れない。なんとなく、そんな考えが頭を過った時、彼がリクエストできるか?と尋ねてきた。
「どうぞ」と応えると
彼は「ヘレン・メルリ…」と。
「あぁ…ヘレン・メリルね」
とだけ応えて『ヘレン・メリル ウィズ クリフォード・ブラウン』をプレイヤーにのせた。
今、閉店後の片付けを終えて一息ついている。私は口が上手い方じゃない、と言い訳じみた考えを巡らしながら。今日、あの時、少しぐらいぷっと笑ってやた方が良かっただろうか?皆よく間違えるよ、と声をかけたら良かっただろうか?
今夜寝ても、あの眩しい彼の顔を私はもう確かに覚えている。
あの若者はまた来てくれるだろうか?
(注)この物語は京都ジャズ喫茶マップ制作にあたり提供されたエピソードを種にした筆者による完全な妄想である。
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