|エピソード2 |@明るい田舎「JBL」

70年代後半、私は大学生活も慣れ、京都の街にも慣れ、そして親しい友人もできていた。彼は、当時オーディオブーム全盛期の若者に外れず、毎日ジャズ喫茶をハシゴする正真正銘のマニアだった。その探究心と情熱は日毎に増し、学業に関するそれとは比べ物にならなかった。
もちろん、私も彼と一緒に例に漏れずジャズ喫茶にはまりレコードも収集したが、彼の探究心には一目おき心の中で敬服していていた。パラゴン、アルテック、JBLと当時は雑誌でしか拝見できないシロモノのオーディオを確と聴くために京都中のジャズ喫茶へ行き、何時間も入り浸っては聴き比べ、帰りに彼とオーディオ談義、否私は聞き役だったが、そんな毎日だった。
二人で、店の隅に立て掛けてある演奏中のジャケットを穴があくほど見て覚え、忘れないうちに帰りにレコード屋へ寄り、その盤を探して回ったりした。

ある日、彼が私を興奮気味に家に呼びつけた。

「作ったんだ!一緒に聴こう」

私は耳を疑ったが、確かに作ったと言ったのだ。スピーカーを。
彼ほどのマニアでなかった私は、なんとなく知ってはいたが、こんな身近に自作でスピーカーを作る人間がいたことに驚愕した。今、思えば納得の流れではあるが。
ちょうどその頃、荒神口にあった「明るい田舎」に二人で時々通っていた。彼は、一人でも行っては翌日その店のJBL4530について私に延々と話してくれたものだ。私は、そういう彼の話を聞くのが好きだった。
「明るい田舎」に置いてあった有名ジャズ雑誌SJに掲載されていたフォスターFE203バックロードホーンの図面を書き写して帰り、自作したのだそうだ。私は思わず吹き出してしまった。たばこの煙る店内で一心不乱に鉛筆を走らせ、一目散に帰ってトンカン作り出す彼の姿が容易く眼前に浮かんだ。
もちろん、二人でそのスピーカーの音を聴いてみたが、案の定、到底立派なスピーカーの音には贔屓目でも全く及ばなかった。

それからも彼との学生生活は楽しい日々だったが、ある日、いつものように明るい田舎へ行くと閉店の貼り紙を見つけショックで途方に暮れた帰り道、互いに口数少なく帰ったのを思い出す。

ちょうど私たちの学生生活も終わる頃で、その後徐々にジャズ喫茶も減って行き、それぞれの道へ進んでから久しい。そういえば、あの自作のスピーカーは二人で聴いた後、ユニットをJBL2115に替えて改良し音が良くなった、と聞いた覚えがある。
結局、その音を聴けずじまいだが、彼は今も持っているだろうか?それとも、今は立派なスピーカーを持っているのだろうか?

帰りの道すがらその熱量を持て余すように話す、丸く明るく抜けの良い彼の声が今も聞こえる。

(注)この物語は京都ジャズ喫茶マップ制作にあたり提供されたエピソードを種にした筆者による完全な妄想である。